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自立と依存の関係性とは?

以前からミルトン・メイヤロフの「ケアの本質」を参考にして、介護職は「自立と成長」を支援する専門職だと述べてきましたが、支援する際に意識しておく必要のあると思います。それは「自立と依存の関係性」です。

「自立」の反意語はなんでしょうか?それは「依存」と普通はでてきます。
しかし「自立とは依存先を増やすこと」と東京大学特任講師の熊谷晋一郎先生の言葉を耳にして改めて考えてみました。
どうも「自立」の反対は「依存」ではなく「自失」ではないでしょうか?

そして、依存には「自立した依存」と「自失した依存」の2つがあり、本人の成長から「自失」から「自立」へと変化していく。

前提として、「ありのままを受け入れる」そして「自立と成長」を時間軸を意識すると同時に「今ここ」を意識することが必要だと思います。

もちろん、私たちも依存して生きています。それを意識してないだけです。
自立とは、自ら選択する権利と責任を行使できる状態のことではないでしょうか。だから自立と依存は相反するものではない捉えるべきだと思います。

この関係性は、まず介護の専門職が示していく必要があるのではないか。そして他職種に伝えていって欲しい。そうなることを望んでいます。

では、今日はこれまで。
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[ 2016/07/24 10:05 ] 介護論 | TB(0) | CM(0)

腰痛予防は進んでいるか?

今回は「腰痛予防」についてです。

 あらためて思うことですが、腰痛
予防的観点で見ても、介護技術が未熟
であるケースが目立つことです。


結論から言うと、
介護技術は単に移乗介助などの身体的
なことではありません。

介護者自身を守り
利用者本人を守り
お互いの関係性を守る

そういうものなのです。

それを知った上で、
立つ座ることの基本の動きをどれだけ
意識しているか?
バランスやタイミング、動きの導き方
をどれだけ意識しているか?
明確に説明できる根拠を持っているか?
そういったことが自分の頭で考えられ
なければこれからの介護職の価値は世間
から認められないでしょう。

 どうしても「大根抜き」*や「釣り
落とし」**の動きがあり、きっとあれ
では腰を壊してしまうだろう。と見え
てしまいます。
 それは、利用者視点で見ても「痛み
」につながります。
お互いに痛みを分かち合った残念な状
態です。

*「大根抜き」 利用者の両脇を持っ
て力任せに移乗介助すること。
さながら大根を引き抜くような勢い
で動く姿に見えることから命名。

**「釣り落とし」 車椅子に座らせる
移乗介助時、座面に送り込む動きが相
撲の「釣り落とし」のように見える。
介助者の足元が棒立ちの状態で行うと
、腰椎に無理な力が加わり、脊柱の疾
患に直結している危険な行為。

 厚生労働省も腰痛予防対策指針を打
ち出しています。
抜粋した内容がこちらです。
「ベッドの高さ調節、位置や向きの変
更、作業空間の確保、スライディング
シート等の活用により、前屈やひねり
等の姿勢を取らせないようにすること。
特に、ベッドサイドの介護・看護作業
では、労働者が立位で前屈にならない
高さまで電動で上がるベッドを使用し、
各自で作業高を調整させること。
不自然な姿勢を取らざるを得ない場合
は、前屈やひねりの程度を小さくし、
壁に手をつく、床やベッドの上に膝を
着く等により身体を支えることで腰部
にかかる負担を分散させ、また不自然
な姿勢をとる頻度及び時間も減らすこ
と。
(4) 作業の実施体制
(2)の福祉用具の使用が困難で、対象
者を人力で抱え上げざるを得ない場
合は、対象者の状態及び体重等を考慮
し、できるだけ適切な姿勢にて身長差
の少ない2名以上で作業すること。
労働者の数は、施設の構造、勤務体制、
作業内容及び対象者の心身の状況に応
じ必要数を確保するとともに、適正に
配置し、負担の大きい業務が特定の労
働者に集中しないよう十分配慮するこ
と。
(5) 作業標準の策定
腰痛の発生要因を排除又は低減できる
よう、作業標準を策定すること。作業
標準は、対象者の状態、職場で活用で
きる福祉用具(機器や道具)の状況、
作業人数、作業時間、作業環境等を
考慮して、対象者ごとに、かつ、移乗
、入浴、排泄、おむつ交換、食事、移
動等の介助の種類ごとに策定すること。
作業標準は、定期的及び対象者の状態
が変わるたびに見直すこと。」

こうして見ると、介護現場でも具体
的な対策が必要となってくるでしょう。
「予算がないから・・・」の一言で購
入計画も立てていない事業者は後々困
ることとなるでしょう。

 福祉用具の購入も大事なのですが基
本的な介助動作の見直しも必要です。
これは現場の介護職が考えなければい
けないことです。

先に述べた「大根抜き」や「釣り落と
し」をしないための介助技術が必要と
なるでしょう。

 ここまで書いて何も提示しないと非
難轟々は必至ですので、こちらをどう
ぞ☟

腰痛予防1

腰痛予防1

 この動き自体は世間一般で知られた
動きだと思います。
これをどう現場で応用するかです。

上段の右側の動作
座った利用者と一緒に立つ動作を行う
と楽に立ち上がり介助ができます。
もちろん「立ち上がり動作の基本」を
踏まえた上です。

 下段の右側の動作
 例えば、車椅子への着座を介助する
時、介助者の支持基底面を広げる動作
を応用します。よくしてしまう動作は
「釣り落とし」ですが、介助者の足を
車椅子の車軸の方まで踏み出す動きに
すると、座面の奥まで着座しやすくな
ります。

 ちょっとした動作を変えるだけで楽
に介助できます。

本当はもっとソフトに言った方が良い
のでしょうが、プロならば聞いてくれ
ると信頼してのことなのです。
[ 2016/05/16 22:19 ] 介護技術 | TB(0) | CM(0)

50にして天命を知ると言うけれど

関係先の介護研修をしています。
そこで話すことは、10年前に何も知らずこの業界に入った自分に向けて語りたかったことなのかもしれません。
あの頃の自分の問いかけに答えている。
そんな気がします。
そして技術面ばかりでなくこのことも伝えたい。


介護を学ぶのに遅すぎるということはない。

できていなかったとしても嘆くことはない。

これから行えば良いのだ。

たとえその人がいなくても、

未来に向けて歩めば良い。

人の想いは時空を超える。

そうして自らの歩むために

「なければよかった」という事は

何一つない。

安心して良いのだ。



まだまだ探究したい。
完成などほど遠く感じるこの頃なのです。
[ 2016/05/09 22:34 ] 雑記 | TB(0) | CM(0)

改編 尊厳大気論

介護を語る上で、避けて通れないもの。
介護が介護たる軸の大きな要素となる「尊厳」を考えるていきたいです。
そこで言いたいのが

尊厳大気論

「尊厳」を語る上での前提条件のひとつは

「存在への圧倒的な肯定感」

これに尽きるのではないでしょうか。
すると、
生きることのみが全てではないが最後まで生きていけると思える!
と思いたい。



この「尊厳」が介護現場における「大気」とするならば、「肯定感」が酸素であり、「無関心・否定感」が二酸化炭素となる。
ならば尊厳に対する無関心や否定感が高くなると、介護現場は「酸欠」状態となるでしょう。

この根本的な環境が酸欠状態である介護現場はどうなってしまうか?


意欲的なことをしたくても考えられない、むしろ職員・経営者の都合で業務が進行するだろう。
きっと悲劇もこの中から生まれてしまう。
利用者にとっても、職員自身にとっても。

だから、「尊厳」とは何か考えることが大事なのです。

例えば、
「みかんの皮に尊厳があるか?」を考えてみましょう。
中身の果肉を食べてしまうと残るのは「皮」
この皮に尊厳はあるのでしょうか?

東京大学倫理学がご専門の清水教授の「尊厳の三要素」に当てはめると・・・

①みかんの皮として、その存在を尊重する。ふさわしい待遇を行う。この場合、すぐゴミ箱に捨てるのでなく、薬(陳皮)として活用する、乾して湯船に浮かべる。香りを楽しむ。丸い形やむかれた姿を絵に描く。
②みかんをむく側や見ている人が、みかんの皮の効能を知ることや、皮としての機能(中身を保護する)を見直しゴミとしての認識からみかんの皮としての存在。その意義や、生きていた命としての存在そのものを認識することで尊厳を感じる。
③みかんの皮自身が、自分の存在を価値あるものとして自ら感じる。
この3要素が尊厳にはある。と説かれています。

尊厳を感じさせる接遇を行い、その尊厳が具体的に何か意識し、本人自身も尊厳を感じること。

それが大事なのです。
[ 2016/04/08 22:55 ] 介護論 | TB(0) | CM(0)

介護を定義付けていくと、、、

「介護」・・・定義付けを勘違いしていた。

「介」は、介抱や人と人をつなげるというよりも、人の持つ「存在の不安」や「苦しさ」を「存在の安心感」や「生きることに賭ける」ことにつなげる。
そういう「介する」ことであり、一方「護」については、
「尊厳」や「生活」・「quality of now」
今ここにいることを「護る」。
それも、目の前の人も自分自身も守るのだ。

けっして、
誰でもできるなどと思われることではないのです。

介護の根幹として残るのは、
「存在」と「尊厳」です。

特に介護が目指すべきは
「存在の安心感」
いるだけで、自らの存在を肯定できる。今ここにいて良いと思える。それが尊厳を護ることにつなげる。
これは相互作用で、ケアしケアされる関係となります。

介護は、西洋的合理主義に縛られないことと、日常生活における水平な関係性があります。
これは介護の固有性となりうるか?

しかし、介護は様々なところに関わる特性があるから、固有性は持ち得ないかもしれません。
「介護に専門性がない」と言われてしまうのはそのためかもしれません。それだけ範囲が広いのです。

もしかすると「固有性」は介護にはなく、強め意識することなのか?


他方で、終末期や看取りにも目を向けると、
介護的にはエンドオブライフケア、、、とは

あくまでもライフに目を向ける。
そしてQON(quality of now)
「今ここ」を大事にする。
無力でもそばにいることのできる関係。
相手が話せなくとも
「我思わずとも我あり」を意識すると
フラットな関係性が育まれる。

介護は「向き合う」のでなく「寄り添い・伴走」するものだから。

介護は医療的な視点の「人を支える人に 一番支えが必要」からもう一歩踏み出せる。
支え合う相互作用とお互いの尊厳を感じ合う中から生まれる関係性を持てるのだ。

とすると、「あなたはターミナルです」と言わずとも身仕舞いの時期が来たと関係性から伝えられるのが介護かもしれない。
伝える役目は医療に委ねて。

ただ、介護を通じての関係性から
「どう生きたいか?どう死にたいか?」を確認することはできる。生活の中から聴き取れることがある。

そこが医療と介護の専門性の違いなのです。

まだまだ思索は続きます。
[ 2016/04/08 21:56 ] 介護論 | TB(0) | CM(0)





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