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自立と依存の関係性とは?

以前からミルトン・メイヤロフの「ケアの本質」を参考にして、介護職は「自立と成長」を支援する専門職だと述べてきましたが、支援する際に意識しておく必要のあると思います。それは「自立と依存の関係性」です。

「自立」の反意語はなんでしょうか?それは「依存」と普通はでてきます。
しかし「自立とは依存先を増やすこと」と東京大学特任講師の熊谷晋一郎先生の言葉を耳にして改めて考えてみました。
どうも「自立」の反対は「依存」ではなく「自失」ではないでしょうか?

そして、依存には「自立した依存」と「自失した依存」の2つがあり、本人の成長から「自失」から「自立」へと変化していく。

前提として、「ありのままを受け入れる」そして「自立と成長」を時間軸を意識すると同時に「今ここ」を意識することが必要だと思います。

もちろん、私たちも依存して生きています。それを意識してないだけです。
自立とは、自ら選択する権利と責任を行使できる状態のことではないでしょうか。だから自立と依存は相反するものではない捉えるべきだと思います。

この関係性は、まず介護の専門職が示していく必要があるのではないか。そして他職種に伝えていって欲しい。そうなることを望んでいます。

では、今日はこれまで。
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[ 2016/07/24 10:05 ] 介護論 | TB(0) | CM(1)

改編 尊厳大気論

介護を語る上で、避けて通れないもの。
介護が介護たる軸の大きな要素となる「尊厳」を考えるていきたいです。
そこで言いたいのが

尊厳大気論

「尊厳」を語る上での前提条件のひとつは

「存在への圧倒的な肯定感」

これに尽きるのではないでしょうか。
すると、
生きることのみが全てではないが最後まで生きていけると思える!
と思いたい。



この「尊厳」が介護現場における「大気」とするならば、「肯定感」が酸素であり、「無関心・否定感」が二酸化炭素となる。
ならば尊厳に対する無関心や否定感が高くなると、介護現場は「酸欠」状態となるでしょう。

この根本的な環境が酸欠状態である介護現場はどうなってしまうか?


意欲的なことをしたくても考えられない、むしろ職員・経営者の都合で業務が進行するだろう。
きっと悲劇もこの中から生まれてしまう。
利用者にとっても、職員自身にとっても。

だから、「尊厳」とは何か考えることが大事なのです。

例えば、
「みかんの皮に尊厳があるか?」を考えてみましょう。
中身の果肉を食べてしまうと残るのは「皮」
この皮に尊厳はあるのでしょうか?

東京大学倫理学がご専門の清水教授の「尊厳の三要素」に当てはめると・・・

①みかんの皮として、その存在を尊重する。ふさわしい待遇を行う。この場合、すぐゴミ箱に捨てるのでなく、薬(陳皮)として活用する、乾して湯船に浮かべる。香りを楽しむ。丸い形やむかれた姿を絵に描く。
②みかんをむく側や見ている人が、みかんの皮の効能を知ることや、皮としての機能(中身を保護する)を見直しゴミとしての認識からみかんの皮としての存在。その意義や、生きていた命としての存在そのものを認識することで尊厳を感じる。
③みかんの皮自身が、自分の存在を価値あるものとして自ら感じる。
この3要素が尊厳にはある。と説かれています。

尊厳を感じさせる接遇を行い、その尊厳が具体的に何か意識し、本人自身も尊厳を感じること。

それが大事なのです。
[ 2016/04/08 22:55 ] 介護論 | TB(0) | CM(0)

介護を定義付けていくと、、、

「介護」・・・定義付けを勘違いしていた。

「介」は、介抱や人と人をつなげるというよりも、人の持つ「存在の不安」や「苦しさ」を「存在の安心感」や「生きることに賭ける」ことにつなげる。
そういう「介する」ことであり、一方「護」については、
「尊厳」や「生活」・「quality of now」
今ここにいることを「護る」。
それも、目の前の人も自分自身も守るのだ。

けっして、
誰でもできるなどと思われることではないのです。

介護の根幹として残るのは、
「存在」と「尊厳」です。

特に介護が目指すべきは
「存在の安心感」
いるだけで、自らの存在を肯定できる。今ここにいて良いと思える。それが尊厳を護ることにつなげる。
これは相互作用で、ケアしケアされる関係となります。

介護は、西洋的合理主義に縛られないことと、日常生活における水平な関係性があります。
これは介護の固有性となりうるか?

しかし、介護は様々なところに関わる特性があるから、固有性は持ち得ないかもしれません。
「介護に専門性がない」と言われてしまうのはそのためかもしれません。それだけ範囲が広いのです。

もしかすると「固有性」は介護にはなく、強め意識することなのか?


他方で、終末期や看取りにも目を向けると、
介護的にはエンドオブライフケア、、、とは

あくまでもライフに目を向ける。
そしてQON(quality of now)
「今ここ」を大事にする。
無力でもそばにいることのできる関係。
相手が話せなくとも
「我思わずとも我あり」を意識すると
フラットな関係性が育まれる。

介護は「向き合う」のでなく「寄り添い・伴走」するものだから。

介護は医療的な視点の「人を支える人に 一番支えが必要」からもう一歩踏み出せる。
支え合う相互作用とお互いの尊厳を感じ合う中から生まれる関係性を持てるのだ。

とすると、「あなたはターミナルです」と言わずとも身仕舞いの時期が来たと関係性から伝えられるのが介護かもしれない。
伝える役目は医療に委ねて。

ただ、介護を通じての関係性から
「どう生きたいか?どう死にたいか?」を確認することはできる。生活の中から聴き取れることがある。

そこが医療と介護の専門性の違いなのです。

まだまだ思索は続きます。
[ 2016/04/08 21:56 ] 介護論 | TB(0) | CM(0)

尊厳は与えられるものではなく、大気のように当たり前にあるもの

尊厳大気論

「尊厳」を語る上での前提条件のひとつは

「存在への圧倒的な肯定感」

これに尽きるのではないだろうか。
すると、
生きることのみが全てではないが最後まで生きていけると思える、と思いたい。



この「尊厳」が介護現場における「大気」とするならば、「肯定感」が酸素であり、「無関心・否定感」が二酸化炭素となる。
ならば尊厳に対する無関心や否定感が高くなると、介護現場は「酸欠」状態となるだろう。

この根本的な環境が酸欠状態である介護現場はどうなってしまうか?


意欲的なことをしたくても考えられない、むしろ職員・経営者の都合で業務が進行するだろう。
きっと悲劇もこの中から生まれてしまう。
利用者にとっても、職員自身にとっても、、、

こう考えると、介護の教育マネージメントは、小手先でなくもっと根本から考えてなくてはいけないのではないだろうか?
[ 2016/02/29 00:51 ] 介護論 | TB(0) | CM(0)

介護職は自立と成長を支援するのだから

再考してみました。
新しい介護職の通称。

「ケア・インディペンダー」もしくは「ケア・インディグロウサー」

意味は、
自立支援としてのインディペンデンス=independence。
そして成長という意味のグロウス=growth。
それら自立と成長の視点を持ってケアができる専門職。
それが「ケア・インディグロウサー」なのです。

以前ヘルパーやケアワーカーに変わる言葉は作れないか考えました。
ケア・スタンド 「傍にいる者」や「寄り添う者」として「スタンド」がいいか?
はたまた、
ケア・ローダー 「導く」という意味の「ロード=Lead」。
そして、
ケア・ディグ二ティ(尊厳)もどうかと思ったのですが、
その表現ははちょっと違うかなと思い外しました。

なぜそんなことを考えたかと言うと、イメージ戦略です。

地域包括ケアを進めていく場合、介護職の存在はとても重要です。
しかし、他職種と同等に活躍出来る状態かと言うと・・・「はい」とは言えません。
実践はすでにできている面は多いと思います。
素晴らしい方は大勢おられると思います。しかし、伝えるスキルがない。だから会議でも黙ってしまう。
本当は患者・利用者の代弁者となれるのに。

自分の言葉で医療職や他職種に語る力を持たないと、どこかの誰かが言っている「地位向上」なんて
100年経ったって不可能です。
棚ぼたで介護報酬は上がりっこない。

この四半世紀の介護職の認識は、世間一般も介護職自身も、受け身で「誰でもできる安易で安価な仕事」
というものは拭い去れないと思います。
本当は「生きることそのものを支える、さりげなくとも、とてつもない専門職」であるのに。
そういう負のイメージを払拭していくのに新しい通称を考えるのもよいのではないかと思ったのです。


だから、
名は体を現す。その意を込めて上記の通称を考えたのです。
『介護職が患者・利用者の自立と成長の視点を持ちながらケアができる専門職。』

これができれば単なるお手伝いとは違うと認められるでしょう。

もう少し考えてみましょうか。
全面的な業務独占は「生活の直接支援職」の面から考えるとそぐわない気がします。
しかし、介護福祉士から介護福祉専門員でなく、認定介護福祉士的な能力を持った者は
一部の業務は「業務独占」があってもよいのではないかと思います。それが介護報酬に反映されて
介護の仕事を一生の仕事として成り立たせる必要レベルの収入が担保されるのであればそのほうがいい。
優秀な人材も入ってくると思います。

日本語で表していくとどうだろう?

 「介護師」

一部の医療面も担う、重度化する対象者(0才から100才までみるような)の介護も行え、
教育やマネジメントも指導できる能力があり、他職種に影響力を持つような専門性と
伝達・コミュニケーションスキルを兼ね備えた存在。
これからの介護職はこういう存在になりえる可能性を秘めています。

私自身そうありたいと思うのです。



この項はこれまで。
[ 2016/02/19 23:45 ] 介護論 | TB(0) | CM(0)





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