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「存在の不安」を考える

先日ちょっとうれしいことがありました。
全介助のご利用者様の食事介助をしていた時、
向かいで見ていた他のご利用者様(認知症)の方が
「上手に食べさせるね、見ていて気持ちいいわ」と
言われました。

その場にいた職員一同笑顔になりました。理解は難
しくともその場の雰囲気や心持ちはそのまま伝わる
ことが再認識されました。
知識としては分かっていても、こうして表現される
と「いい加減な仕事」はできません。

一方、認知症でない年齢からくる身体の不自由さで
入所された方は「なんも(体が)ゆうこときかん、
もうどうなってもええんやぁ。」と言われます。そ
の方の思うようなタイミングで思うような身体援助
(手を出し過ぎない、それでいて痛みを感じさせない)
が出来ると「ありがとぉ~」と声をかけて頂けます。
この力加減が分からなかったときは職員全員生傷が
絶えませんでした。

なるべく気ままに過ごして頂きたいのですが、あの
「なんも・・・」の言葉が気になります。入所され
る方は誰しも家に帰りたい。認知症の症状として自
宅にいても過去の家に帰りたい「帰宅願望」があり
ますが、これは元気な時に戻りたい願望なのかもし
れません。入所されている方々に心安く日々を過ご
して頂きたいです。そのためには、介護職の教養と
してご利用者の「空虚感」の理解が不可欠ではない
かと思います。

曹同宗僧侶の南直哉師の著書「なぜこんなに生きに
くいのか」新潮社 を読んで思いました(一部引用)

自宅から施設へ移る環境変化は高齢になるほどつら
くなると思います。この環境変化を何の心の準備も
ないまま、否応なく突きつけられる。順応出来れば
いいですが、ストレスがかかっているのは行動から
推測できます。落ち着かなかったり逆に意気消沈し
たり。(生活パターンの変化で以前より健康になる
ケースもあります。)ただ、メンタル面でどれだけ
の援助が出来ているか?「空虚感」の解消とはいか
なくても共感はできるのではないでしょうか?施設
の生活で「生存の危機(生活のしにくさ)」は回避
されるでしょうが、「存在の不安(生きていること
の切なさ)」はまだ課題が多いと思います。
「空虚感」や「生存の不安」はどこから来るのでし
ょうか?それは「誰かに認められたい、大切に思っ
てもらいたい。でもそう思ってもらえない」そうい
う非常に切なくて孤独な感情からではないでしょうか?

これは職員がどうこう言っても一朝一夕には埋めら
れません。いや埋められるものではないでしょう。
にもかかわらず、「笑おう」と言ったのは死生学の
アルフォンス・デーケン先生ですが、笑えなくとも
「手を合わせる」ことはできるのではないでしょうか?
「つらいねえ」と言えるのではないでしょうか?
すこしでも心を解きほぐすことはできないものか。
そう思います。

3・11が過ぎました。気がつくとあの日から1年が
過ぎてしまいました。何もできない1年でした。そう
思うと気持ちが沈んでしまいます。これは過去からの
「宿業」か?1000年経っても人間は変われていな
いのかと。
しかしこうも考えられるのではないでしょうか。
「過去」は変えられない。でも「現在」を懸命に生き
ていけば、変化を求める。そうすれば「未来」は変え
られるのではないか。

「現在」の積み重ねが「未来」だから。
[ 2012/03/12 22:24 ] 死生観 | TB(1) | CM(4)





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