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今考えている介護論のそもそものきっかけ

このブログを通して論じていることの
出発点というかきっかけは何か考えていましたところ
このブログの記事に行き当たりました。
介護学部マニア学科Z

そうこの記事です。
普通「監視カメラ」についてこう論じる人を
私は見たことがありませんでした。
この中で私もコメント(それもとんでもなく長い!)を
書いています。
ここで書いた事が、今につながっているのではないか?
そう思います。

いまだったら、拙ブログで書くべき分量のコメントでした。
元気の子さん、失礼致しました。
貴兄のブログが私の介護論のきっかけであります。
感謝しております。

介護専門職の総合情報誌「おはよう21」でも連載が始まると
か!楽しみです。
おはよう21

私もさらに考えを深めていきたいです。
[ 2012/09/25 01:02 ] 雑記 | TB(0) | CM(2)

伊達男は苦労人だった

なんか前回に続いて格言続きになります。

今日は、独眼竜 伊達政宗です!

日頃、職場の仕事ぶりを見ていて
介助技術の向上を感じ、講習したいな~
などと思うものの、なかなか実現化できない
ジレンマなど、ついつい自らの非力さに
腹を立ててしまうじぶんがいるのですが、
派手な演出で「伊達男」という言葉が
できたくらいの伊達政宗公も
実に地味で滋味な心鎮める家訓を
遺されています。


伊達政宗 家訓

仁に過ぐれば弱くなる、
義に過ぐれば固くなる、
礼に過ぐれば諂となる、
智に過ぐれば嘘をつく、
信に過ぐれば損をする。
       *諂=へつらい
気長く心穏やかにして、
万に倹約を用て金銭を備ふべし。

倹約の仕方は不自由を忍ぶにあり、
此の世に客に来たと思へば何の苦もなし。

朝夕の食事うまからずともほめて食ふべし、
元来客の身なれば好き嫌いは申されまじ。

今日の行をおくり、
子孫兄弟によく挨拶をして、
娑婆の御暇申すがよし。


うまいこと言っているよな~。


きっとよく人によって感じ方は様々でしょうね。
いかがでしょうか?

この中の「この世に客に来たと思えば」
とあるのが私には響いてきました。

そんなに心の内に不平不満を貯めておいたり
できていないことで益々自暴自棄になったり

そういう気持ちをちょっとでも立て直す言葉に出会えた気がしました。

様々なことで、ず~~と「生ぬるい自分」に
嫌気が差している。
わかっているけど「変われていない自分」に
揺さぶりをかけてくれる言葉です。

こうして自分を振り返るとネガティブ100%ですけど
いつもはポジティブですのでご心配なく。

では、今日はここまで。
[ 2012/08/09 11:08 ] 雑記 | TB(0) | CM(0)

やってみせ 言って聞かせて させてみせ

今日まで都合4日間、介護実習を受け入れるための
指導者研修を受けていました。

これからの人財を育てる重要性を感じました。
ただ、施設で受け入れて現場を体験させるだけでは
質の高い実習時間とならないと感じさせられました。

やはり、無知は罪です。
学ぶことは大切ですね。

さて、そこで講師の方が山本五十六元帥の
有名な一節を紹介されました。
実は全文はもっと長いことを思い出しました。
それがこちらです。

やってみせ、
言って聞かせて、
させてみて、
ほめてやらねば人は動かじ。

話し合い、
耳を傾け、
承認し、
任せてやらねば、
人は育たず。

やっている、
姿を感謝で見守って、
信頼せねば、
人は実らず。

私はこんなに謙虚にはなれません。

そう、山本元帥の格言にはほかにも
有名なものがあります。

男の修行という格言です。

苦しいこともあるだろう
言い度いこともあるだろう
不満なこともあるだろう
 
腹の立つこともあるだろう 
泣き度いこともあるだろう
 
これらをじっとこらえてゆくのが 
男の修行である

私にはこんな忍耐もありません。

歴史に名を残す人は言うことが違います。
こういう人があと3人同時代にいたら歴史も
変わっていたかもと思わせるほど先を見通せる人物です。

こういう武人、憧れてしまいます。

[ 2012/08/08 19:00 ] 雑記 | TB(0) | CM(0)

視点を少し変えてみると・・・きっと楽になる

 もうすぐ4月1日になります。
今年度最後のブログになりますね。
(と言ってもたまに更新するくらいすみません)

 さて、タイトルに「視点を変えてみると・・・」
と言い、「きっと楽になる」と結論まで言って
しまったので、あとは「蛇足」になってしまいます。

 視点を変えてみると言いましたが、自分の事が
不満ばかりで心落ち着かない所があります。
 体は痛むし思うような仕事も実現できない。
郷里に残した母は元気だがこれからどうしようか?
妻も仕事で目の回る忙しさだが体は大丈夫なのだろうか?
息子達は・・・まあ、頑張ってくれ(笑)
(男だから自分でなんとか考えるでしょう。)

 そうしてみれば大したこと無いのですよ。明日死ぬ
わけじゃあるまいし、失業したわけでも大病したわけでもない。
取り越し苦労がほとんどです。

 その視点を変えてみるとさらに鮮明になってきます。
では、どう視点を変えていきましょうか?
 例えば、三代前の曾祖父の視点ではどうでしょう。
 私の曾祖父は山奥の百姓でした。食うのも大変で
しかも事故で早世してしまい、少年であった祖父は
炭焼きの仕事を手伝ったりして家計を助けたと聞いています。

 その曾祖父の視点で今の私を見れば「もっと頑張れ!」
その一言でしょう。仕事も家族も住むところもちゃんとある。
なにを心配することがあるか?それどころか、まだまだ自分の
可能性を伸ばせるのではないか。酒ばかり飲んでちゃいかんぞ!
と、お叱りを受けるような気がします。
 そして、息子達を可愛がってくれたでしょう
(それは我が父のことでしょう。きっと高校生になった姿を
見たかったことでしょう。幼かった息子達を力いっぱい抱き
しめていましたから・・・)

 話がそれました。

 そういう風に視点を変えると、自分を取り巻く世界は変わりま
せんが、意識が変わってこないでしょうか?
 そうすると、職場の教育指導にも生かせるかもしれません。
コーチングの手法をずっと以前に紹介したと思いますけど
聞いてみる姿勢や自問自答をうながすのがその手法なのではないか
と思うのです。ただ、職場の理念や方針がしっかりしたモノでなけ
れば、現場の指導には限界があるかな?と思ったりもしていました。
 でも、この視点を変える事を重ね合わせると・・・「何とかなる!」
そんな気がしました。
 今の時代というか今の日本、世界の多くの人達からみれば
それだけで恵まれています。たしかに自殺者が年に数万人でる社会です。
福島原発や地震の事もあります。
 にもかかわらず、生きていくすべはまだある。
今日飲む清らかな水すら無い人たちもいるのですから。
内戦で苦しむ人たちもいるのですから。

 日本の社会福祉(医療・看護・介護)を考えると、いまの政治の無力さ
を感じ、暗然とした気持ちになります。震災の時の人々の整然とした姿と
政治家の混乱とを見比べて、どうして日本人は変わらないのだろうか?
と不思議に思ってしまいます。昔からリーダーシップを取る気質が無い
のでしょうね。小田原評定なんて言葉があるくらいですから。

 そうはいっても、それで希望を失うことは無いの思うのです。

 だって、みんな頑張っているじゃないですか。日本人の良さはあります。
その世界に誇れる気質をのばしていけばいいのではないでしょうか。

 また明日から新しい年度が始まります。
 平成24年度4月1日が始まります。
 張り切っていきましょう!

 でも、
 エイプリルフールだからと言って
 「私ここ辞めます!」
 なんて言わないでくださいね(笑)
 

[ 2012/03/31 22:04 ] 雑記 | TB(0) | CM(2)

今年を振り返る

 今夏、ブログを立ち上げて気が付けば今年もあと2日で終わってしまいます。
 皆さんいかがお過ごしでしょうか?ウエッティです。

 さて、今回のタイトル「今年を振り返る」ですが、一言で今年を表すと
どうでしょう?私自身は「擦(ずれ)」かな?やる事、なす事、上手く
いっているのか悪いのか?私個人ずれまくった一年だったような気がします。
 何もしていないわけではないのですが、覚悟も決めて行動もしたのですが、
自分の理想と現実のギャップは広がるばかりです。
たぶんこのずれは来年も解消しないでしょう。それはあるものと心に決めて
おくほうがいいと思うのです。
 ただ、諦めているわけではありません。仕掛けて待つことも大事かな?と
思うのです。それとしっかり準備しなくてはいかんなと。

 勉強不足であるし、力不足を痛感した年でした。
月を追うごとに心騒ぐ状態でしたね。きっと、深く考えようとすればするほど
深みにはまる状態に似ています。スランプのような心境です。
(まあ、今でもそうですが・・・)
もがく時なのだと思います。逡巡する時期なのでしょう。そうして成長するの
だと思います。

 どうしたって今年は震災のことが付いて回ります。深刻になりがちです。
なんとなくあるだろうな。と思っていたことが現実になってしまったのですから。
(これが敦賀のもんじゅだったらもっと被害は深刻だったかもしれませんが)
だからこの心のなかに石が詰め込まれたような気持ちは死ぬまで消えないかも
しれません。原子炉の放射線は自然には消えにくいものですから。

 こうして書くとネガティブ一辺倒になってしまう・・・
(ツイッターをさかのぼって読むと3・11前後で内容が変わってしまいました。)

 こういう混とんへ進む世の中は今も昔も変わりなくあり、人々は
考え続けていました。そういった叡智や歴史を振り返り、未来に生かさなくては
いけないと思います。きっと今年以上に大変な事になる!と覚悟しておいた方が
いいし、その上で「希望」を信じたいのです。自分の生活を精一杯生きていかな
ければ、未来は続かないでしょう。

 生きる覚悟を考える時、価値観や欲望の尺度を自分中心なのと、もうひとつ別
のものを持っておければいいと考えるのです。私自身、どうしても「人から認め
られたい」とか「評価」されたい。とか思ってしまいます。それが自分のあり方
をゆさぶります。自分自身のしがらみから抜け出せなくなります。そこで別の尺
度が欲しいのです。

 ならどうすればいいでしょう?自我を無にする事が出来れば簡単ですが、そん
なことはやっぱり難しいです。生きている以上自分がかわいいですもの。
なので自我を棚上げできないかなぁ?と思うのです。ある意味世間の評価を気に
しない状態に心のチャンネルを切り替える。そういうことが少しでもできればい
いなぁ、と思います。その切り替えのテクニックが哲学や宗教的発想なのかな?
と思います。

 私の生活のなかであるとすれば「親鸞上人」の哲学でしょう。この人は「念仏
を称えれば救われる」という法然上人の教えを信じました。この信じ方がすごい
です。「この教えを信じてたとえ地獄に落ちても私は後悔しない。」そういう覚
悟がありました。なので国家から僧籍をはく奪されようが僻地へ追放されようが
信仰を捨てなかった。「死んでも浄土へ行ける」この安心感があるからこそ、今
生きていることに妥協がなかったのでしょう。
 まあこの覚悟までは持てないにしてもこの別の価値観が大事なのかもしれませ
ん。しかし「共感」するものがなくては人間生きていけませんから、バランス感
覚や「伝える能力」は磨かないと実感もしています。このへん難しいですよねぇ。
ずっと失敗ばかりです。

 この「安心感があるがゆえに一生懸命生きられる」。これがこれからの世の中
には必要なのではないでしょうか?私たち介護職も知っておくことの一つではな
いか?そう思うのです。
老いても病んでも命は大切です。だって作り直すことが出来ませんから命は。
それゆえ大切です。でも「死にたい、早くお迎えを待っている」
「こんなになって生きていても仕様がない」と言われた時、うわべの言葉は無力
です。その時どう聞けばいいのか?話せばいいのか?どうすればいいのか?また、
会話ができなくて体も動かせない。そういう人にどうしていけばいい?そのご家
族の気持ちはどうなのだろう?

 この問題にしり込みして「深く関わらない」。これも一つのやり方でしょう。
でもそれだけでプロと言えるでしょうか?プロであるなら考えなければいけない
と思います。高齢者はこれから多くなります。否応なしにこの問題を突き付けら
れるケースが増えるでしょう。いうなれば「死生学」の範疇に入るかとも思います。
この対応をすれば大丈夫!というようなステレオタイプの対応ではありませんが、
共に考えるだけの素養は必要だと思います。
(こう言うからには勉強しなければいけないなぁ~)

 こうして今年を振り返ると、やらなければいけない事が見えてきます。
こうした介護論や介護技術のテキストも新人用に作っていきたいと思いますし。
やりたいことと実力がともなっていないジレンマを感じる一年でした。

 とは言うものの、こうして仕事があり、励むことができるのは幸せなことです。
 感謝です。

 
[ 2011/12/30 01:24 ] 雑記 | TB(0) | CM(4)





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